日本初の民営鉄道会社いわゆる私鉄で日本鉄道株式会社は1881年に創立されました。
華族や各地の名望家など民間の資本によって現在の東北本線や常磐線など東日本旅客鉄道株式会社の多くの路線を経営していました。
なかでも高崎線は日本鉄道の第1期線として、また日本初の民営鉄道として1883年に上野~熊谷間を開業しました。
元々、政府では鉄道官僚の井上勝をはじめとして、鉄道は国有化するべきであるという意見が強くありました。
しかし西南戦争の出費などで財政難により窮乏してしまいました。
政府の事業として東京と京都を結ぶ中山道沿いの鉄道区間のうち、東京~高崎間の測量も開始されていたましたが着工はできませんでした。
一方、民間の資本を取り入れて鉄道の早期開業を求める動きが活発になり、結果、日本鉄道の設立につながっていきました。
1882年、東京から上州高崎間とこの中間地点から青森までの区間を6年間で建設する計画を立てると、川口~熊谷間から工事を着手しました。
当初は貿易港がある品川、横浜と直結する計画でしたが、建設費が高額となることが見込まれたため、東京のターミナルを上野に置くことを決議すると、上野~川口間の工事にも着手し、翌年、上野~熊谷間で営業を開始しました。
第2期線である東北本線を分離すため大宮駅が開業されたのは、1885年のことでした。
1906年に日本鉄道が鉄道国有法により国有化され、本路線も官設鉄道に編入されました。
また、1909年に公式に大宮~高崎間を「高崎線」と名称が設定され、東北本線の支線と定義されました。
高崎線は、国内最古の本格的な長距離鉄道路線ですが、今も通勤路線としても現役で活躍しています。
その要となったのが115系です。
1952年に全線が電化されてから、国鉄は80系や客車などの2ドア車を使用していましたが、需要に応えるため1963年に3ドア車115系を投入しました。
115系は車体の内外装は東海道本線で使用していた111系電車を基本としていますが、車体側面のドアは自動、半自動の切り替えが可能でドアのレールはヒーター付きとし、屋根上の通風器は雪が入りにくい構造を採用しています。
モーターも出力を増強し、急坂に対応した抑速ブレーキを搭載し、急坂と寒さに強い国鉄近郊型電車でした。
しかし徐々に増加する通勤客に対応できなくなり、線路容量は限界に達してしまいました。
さらに国鉄の赤字経営から脱却できず、新型車両の投入も抑えられ、急行型165系などの2ドア車で代替運行しましたが混雑は慢性化し、不満に思う者が続出しました。
1973年上尾事件が発生し、国鉄は急行型車両の投入を取りやめ、115系の緊急追加投入を決め、3ドア車の15両編成が日常化していきました。
その後1982年には115系の増備は打ち切られ、1980年代末には日中には7、8両の編成が残っていましたが、後継車211系が運用され115系は一線を退いていきました。
2000年のダイヤ改正では高崎線用115系は完全撤退となり、2018年3月には高崎エリアの定期運行も惜しまれながら終了となりました。
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