歴史
野岩鉄道(やがんてつどう)は、1986年(昭和61年)10月9日に開業した鉄道路線です。新藤原駅(栃木県日光市)~会津高原尾瀬口(福島県南会津町)の30.7kmを結ぶ会津鬼怒川線が唯一の保有路線です。
野岩鉄道の始まりは、1922年(大正11年)。日本に将来的に建設する必要がある鉄道路線を指定した法律「鉄道敷設法」において敷設予定計画が予定されたことがきっかけでした。
この計画は、第二次世界大戦など社会情勢の混乱により具体的に着手されることなく放置されたままになります。
ようやく工事が始まったのは1966年(昭和41年)で、日本鉄道建設公団が建設を担当。しかしながら、そのころ国鉄の赤字問題が起きます。赤字縮小のために定められた国鉄再建法が適用され工事は中止。完成が危ぶまれる状態となりました。
工事停止のまま月日が経過する中、福島県と栃木県、関係地方団体、民間企業の合資による第3セクターでの運営案が浮上。その案が採用となり、1981年(昭和56年)11月20日に野岩鉄道株式会社が設立されました。
野岩鉄道株式会社は、同年に鉄道事業免許を取得、翌年1982年より工事(会津鬼怒川線)を再開します。その後、1986年(昭和61年)10月9日にようやく工事が完成。新藤原駅~会津高原尾瀬口の30.7kmを結ぶ会津鬼怒川線がお目見えしたのです。
会津鬼怒川線は、東武鉄道鬼怒川線と会津鉄道会津線をつなぐ路線となっており、首都圏から日光、会津若松への足として活躍しています。
沿線に、川俣温泉、奥鬼怒温泉、湯西川温泉、男鹿の湯などの有名温泉地が点在することから、2006年(平成18年)には「ほっとスパ・ライン」の愛称がつけられました。
ちなみに、野岩鉄道の名前は、下野の国の「野」と岩代の国の「岩」からつけられました。
車両
野岩鉄道では、6050系のモハ6150形、クハ6250形を含む車両を6両保有しています。この6両は2両編成×3本で運行(特急のみ3両編成)しており、東武鉄道との共通運用となっています。
野岩鉄道の当初の計画では、6000系を改造したものを利用する予定でした。
けれども、6000系の車両が寒冷地非対応であったことや設備面での不足があったことから、6000系の機器を流用して車体を新造することになり誕生したのが6050系です。
6050系の車体の全長は20mで、前後2箇所に一段下降窓を設置した両開きのドアを備えています。前面は三面のガラス窓をはめこみその周りをくぼませた額縁スタイルと呼ばれる仕様です。車両間の貫通扉の上部には、急行灯を配置しています。
ジャスミンホワイトの車体に、パープルルビーとサニーコーラルオレンジのラインをデザインし、前面のガラス窓を黒く縁取る色使いが特徴です。
新藤原駅、龍王峡駅、川治温泉駅、川治湯元駅、湯西川温泉駅、中三依温泉駅、上三依塩原温泉口駅、男鹿高原駅、会津高原尾瀬口駅の9駅を有しています。このうち有人駅は、新藤原と会津高原尾瀬口の2駅となっています。
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