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弘南鉄道

沿線住民に寄り添い、共に歩み続ける鉄道マンの集団。

大正末期の1926年(大正15年)3月27日に設立した弘南鉄道はいくつかの「初」イベントを持ち、津軽の生活を支えながら力強く走りつづけている鉄道です。

歴史

弘南鉄道は1926年の大正末期に設立、翌年の昭和2年に弘前~津軽尾上間、つまり現在の弘南線の一部にあたる11kmの区間で開業しました。

これにより弘前市と平賀地方が初めて鉄道で結ばれ、この間を蒸気機関車が走ったのです。

最初の区間距離は約7マイルに相当します。弘南鉄道の社章は、「弘南」のデザイン化された文字の周囲がレールの断面の形、「工」で丸く囲まれています。

この「工」はこの最初の区間距離7マイルに因んで7つになっているのです。

その後成長を続ける中、第二次世界大戦終戦の翌年からは石炭不足への対応策として電化を進めた結果、1948年7月1日に直流600ボルトの全線電化を青森県で初めて実現させました。

16トン電気機関車2輌による13kmの走行です。

1970年10月1日、弘南鉄道は弘前電気鉄道の経営権を譲り受けることになりました。

1952年に大鰐~中央弘前間で開業以来苦戦をしていた鉄道を引き受けることにしたのはなにより地域の発展を願う意思の表れです。

こうして大鰐線(おおわにせん)が誕生しました。

弘南鉄道の挑戦は続き、1975年に東北で初となる快速列車が弘南線で、81年には大鰐線でも運転を開始しました。

これにより地域の人々の日常生活の利便性が高まりました。

弘南線の黒石~弘前間はまた、米やリンゴの輸送手段としても1984年まで活躍しました。 

その後1984年に国鉄から引継ぎ開業した黒石線は98年に廃止といった経験もしつつ、2017年、弘南鉄道は開業90周年を迎えました。

地域の大事な足として、そして津軽の魅力を全国の人々に楽しんでもらうべく弘南鉄道の挑戦は続いています。

路線概要

弘南鉄道には弘前~黒石間の16.8kmを走る弘南線と、大鰐~中央弘前間の13.9kmを走る大鰐線の2線があります。

弘南線は13駅、大鰐線は14駅です。大鰐線の石川駅近くには、僅か80cmの用水にかかる隠れた「橋」があります。通常の切符の他に、両線共通の乗り放題券や、弘南バスとの共通券等もあります。

日常生活の足に加え、他地方からの訪問も見据え、大鰐線に「りんご畑鉄道」、弘南線に「田んぼ鉄道」という通称をつけて各線の特色をピーアールしています。

沿線住民の足として時にフレキシブルに運行する弘南鉄道。その輸送数は弘南線で1967年度の約500万人、大鰐線は1974年年度の約390万人がピークとしての記録です。

少子化や車社会等の向かい風の条件がある中、観光地としての魅力を伝える手段を整えたり、運転を引退した高齢者が利用しやすいシステムを作る等様々な可能性を実践中です。  

他鉄道とのコラボや地元産製品販売コラボ、キャラクターラッセル君の誕生といった試みも成果をあげています。

沿線

弘南線には「田んぼ鉄道」の通称にあり、またメディアでも紹介された田んぼアートが見られる場所があります。

駅名もそのまま「田んぼアート」といい、隣の田舎館(いなかだて)駅との間には道の駅と第2田んぼアート会場もあります。

青森の水は甘くておいしいと言われますが、米の産地では酒の醸造も行っており黒石駅に醸造店があります。また田舎館では、弥生時代の水田が見られます。駅名に3つの高校があることからも生活の足としての重要性が伺えます。

大鰐線沿線にも教育機関が複数あるほか、いで湯の里として大鰐駅にはノスタルジックな雰囲気を醸し出す公衆浴場「若松会館」もあります。

また中央弘前駅には弘前中央食品市場があり、住民が様々な食材や総菜を買い求めにやってきます。

車両

弘南鉄道の主力車両はデハ7000系です。

1988年、東急7000系から初めての転出例として弘南鉄道にやってきました。

この元東急車両はオールステンレスカーで、1963年から64年に製造されたものです。

電気品は2社の異なる設計のものがあります。

弘南線では東洋電機製造、大鰐線では日立製作所の物が使われています。車体長は18m、前面の赤帯が特徴です。

通常は2連運転ですが、弘南線ではラッシュ時、4連での運転も見られます。

大鰐線の車内のつり革の形はりんごと岩木山をモチーフに造られた可愛らしいものですが、一両に1つ、ハートのものがあります。

東北地方では乗客を運ぶ他にも除雪で活躍する車両が重要な役割を果たしています。

ED221は様々な所属を経て弘南鉄道にやってきました。1926年に製造されてから、信濃鉄道、西武鉄道、近江鉄道、再び西武鉄道そして一畑電気鉄道と渡り歩き、1973年に大鰐線所属となったのです。

長さ9.15m、冬季になると留置場所の津軽大沢から大鰐駅に移動し、ラッセル(キ105)と組んで除雪作業を行います。そのラッセル、キ105はキ100形の中期型というグループに属し、1937年に苗穂工場で鉄道省の列車として製造されたものです。

流線型だった前頭部が国鉄時代に直線型に改造されています。夏の間は津軽大沢駅で冬の除雪作業に備えています。

このキ105の1つ前の番号、キ104もまた除雪ラッセル車として活躍中です。

冬期以外は弘南線の黒石駅に常駐しています。1929年に苗穂工場で鉄道省向けに製造され、1968年に弘南鉄道の所属になりましたこちらは当初延鋤型だったのが、国鉄時代に直線型に改造されています。

また線路にかかる大きな負担となる列車の振動エネルギーを分散させるためにバラストという砕石や砕砂を年に数度まくのですが、これに使用されるのがホッパー車、ホキ1245です。

1964年に国鉄車として郡山工場で製造され、1988年に弘南鉄道所属となりました。

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