国鉄は正式名称を日本国有鉄道といいます。1949(昭和24)年6月1日に発足し、1987(昭和62)年3月31日まで存続しました。
独立採算制で、政府が100%出資する公共企業体でした。国鉄分割民営化により、現在は地域ごとのJR旅客鉄道会社と、全国を走るJR貨物に分割されています。民営化直前に保有していた鉄道路線は、新幹線と外来線を合わせて19,639kmです。
歴史
日本の官設鉄道の歴史は、1870(明治3)年の民部大蔵省鉄道掛の設置から始まりました。1872(明治5)年、新橋—横浜間で日本初の鉄道路線が開通します。
日本政府は全国に鉄道を建設する財力が無かったため、国が要求すれば買取できるという条件で、民間の鉄道会社に地方の先行開発を許しました。このため、地方ごとに私鉄が運行する状況となりました。
1906年(明治39)年、政府は国営の官営鉄道と大手私鉄17社を買収•統合して帝国鉄道を開業します。
当時の陸軍が、長距離輸送の不便さを改善するよう要望したのです。これにより全国の幹線が官営化され、帝国鉄道となりました。この帝国鉄道が、国鉄の母体です。
国営鉄道の所轄官庁は幾度も変遷しましたが、鉄道の運行自体は続けられました。終戦の日も変わらず動いていたといいます。
第二次世界大戦で壊滅的な被害を受けた航路の代わりとして、戦後の混乱期の旅客運送と物資輸送を支え続けたのです。激しいインフレの中で運賃を低価格に抑え、復員兵や引揚者の雇用の受け皿となりました。
しかしこの大量雇用と、100倍以上のインフレによる賃金上昇、そして戦後の設備投資は、国営鉄道の経営状況を急速に悪化させる原因となりました。1948(昭和23)年には、約300億円の赤字を計上しています。
これにより、GHQの総司令官マッカーサーは、国有鉄道事業を独立採算制の公共企業体として独立させる勧告を出しました。
国家権力の行使に関係のない国営事業にたずさわる職員を非公務員化し、効率的な事業経営を目指すとしたのです。そして1949(昭和24)年に国鉄が誕生しました。
発足直後に95000人が解雇され、国鉄三大ミステリー事件が発生するなど(下山事件•三鷹事件•松川事件)、大きな混乱がありましたが、その後は戦後10年で戦前レベルの輸送水準に復活させ、目覚ましい発展をとげました。
1957(昭和32)年に第一次5カ年計画、1961(昭和36)年に第二次5カ年計画を発表して輸送力の増強を推進しました。
1958(昭和33)年に初の電車特急「こだま」が登場し、1964(昭和39)年には東海道新幹線が開業しています。
路線概要
国鉄の線路名称は、1909(明治42)年に公布された国有鉄道線路名称という告示によって制定されています。当時の内閣鉄道院が有する鉄道路線は、23部72路線に区分されました。
以後、この区分が基本的には現在までJR各社の線路名称として引き継がれています。新幹線も、書類上は在来線の無名枝線として記載されています(北陸新幹線と九州新幹線の一部のみ、独立した線路として記載)。
路線は日本全国の隅々に敷設されましたが、極度の財政難により、地方の赤字ローカル線の廃止が進められました。
1980(昭和55)年に公布された日本国有鉄道経営再建促進特別措置法(国鉄再建法)により、いくつかの赤字路線を第三セクター方式の路線に転換しています。現在親しまれている、いすみ鉄道やわたらせ渓谷鉄道なども、かつての国鉄の路線です。
沿線
明治期に鉄道の技術を導入するにあたって、西欧諸国からお雇い外国人を雇ってトンネル掘削や車両製造、列車運転の技術を学ぶ必要があったのですが、本州はイギリス人、北海道はアメリカ人、九州•四国はドイツ人がそれぞれ指導にあたりました。
1906(明治39)年の幹線私鉄国有化により、日本の国営鉄道として整備されるまでは、地方による個性が際立っていたのです。
鉄道の国有化は、有事の際の兵員や物資輸送の目的もありましたから、1906(明治39)年に帝国鉄道として官営化しました。
さらに大陸への物資輸送を円滑にするため、1908(明治41)年当時の鉄道院総裁だった後藤新平は、新橋−下関間を標準軌に改軌することを主張しました。
1938(昭和13)年には鉄道幹線調査分科会が組織されて、東京から中国に到る弾丸列車の構想も発表されました。
戦局の悪化により工事は中断されましたが、一部は後の新幹線で実現することになります。
1964(昭和39)年に東京−新大阪間で東海道新幹線が初開業したのに続き、1975(昭和50)年には山陽新幹線が、1982(昭和57)年には上越新幹線と東北新幹線が開業しています。
これらは全て1435mmの標準軌でした。先人の長年に渡る高速化への念願が、ようやく実現したといえます。
車両
国鉄で最初の特急列車は1912(明治45)年に新橋−下関で運行された列車です。当時は愛称が無く、後に昭和に入ってから「富士」「櫻」「燕」「鴎」などの名前が付けられました。第二次大戦後になると「へいわ」「つばめ」「はと」が東京−大阪間を7時間30分で走りました。
当時は電気機関車の牽引でした。戦後初の夜行寝台特急は「あさかぜ」です。後にブルートレインの愛称で呼ばれるようになります。
日本初の電車特急は、1958(昭和33)年の「こだま」です。1960(昭和35)年には6時間30分で東京−大阪を走破し、日帰り出張が可能になりました。1970(昭和45)年にはL特急が登場しました。
戦前の国営鉄道は爆撃を受ける事を想定していたので、私鉄に比べると電化率は低かったのですが、1940(昭和15)年に投入された30系は、現在の通勤電車の原型となりました。
1949(昭和24)年には86系が登場し、電車の長距離運転を可能にしました。東京−伊東を走るこの電車は、湘南電車と呼ばれました。
1957(昭和32)年に登場した101系は、国鉄の高性能電車の先駆けです。1958(昭和33)年に運行を開始した153系は、準急•急行を確立し、東海形と呼ばれました。1979(昭和54)年にはチョッパ制御の第2世代通勤形電車、201系が登場します。
そして1985(昭和60)年に205系、翌1986(昭和61)年に211系•215系が運行されます。これが国鉄時代最後の新型車両となります。185系は国鉄が製造した最後の特急形電車で、2021(令和3)年3月12日に定期運用が終了しました。
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