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能勢電鉄

路線概要

 地元では、「のせでん」の愛称で親しまれている能勢電鉄。阪急電鉄宝塚線川西能勢口駅を起点に妙見口へ至る妙見線(12.2km)と、山下駅で分岐する一駅だけの日生線(2.6㎞)の二つの路線からなっています。

車庫は妙見線の平野駅に設けられています。ほかにも妙見の森ケーブルと妙見の森リフトも運営しており、あわせて妙見山へのアクセスを担っています。

沿線

 沿線には高度成長期以降、大規模な宅地造成が行われ、ベットタウンとして発展してきました。また一方で、里山の残る自然豊かな田園風景も数多く残っています。

路線の性格は、妙見山への参拝客を輸送するという需要は薄れ、現在は通勤通学路線、生活路線となっています。

 起点となる川西能勢口は阪急宝塚線との接続駅。周辺には百貨店をはじめとする商業施設がおおく、徒歩連絡でJR川西池田へもアクセスできます。阪急宝塚線梅田方面へは同一ホーム内で乗り換えることができます。

 川西能勢口を出発した列車は、北へ方角をかえ、ほぼ猪名川に沿って高架線を走ります。地上に降りたところに絹延橋があります。周辺は閑静な住宅街です。

絹延橋を出発した列車は猪名川に沿って北上します。車窓左側には猪名川と対岸を走る国道173号線を走行する車がみえます。右側には住宅地が広がっています。鶯の森を過ぎたところで猪名川渡ります。

この鉄橋は能勢電の見どころのひとつで、能勢電のHPのなどで使われています。鉄橋を渡るとすぐにトンネルに入ります、トンネルを抜けると鼓滝。住宅街の駅です。駅前に大規模な商業施設のある多田を過ぎると車庫のある平野に到着です。

平野から列車は左に里山を眺めながら進んでいきます。新名神の足元をトンネルで通過、右手に国道173号線を見ながら走り、辺りが開けたところに一の鳥居があります。周辺は開けた中、新興住宅地の中を進みます。

山下は日生線との分岐駅。妙見線はやや左にカーブしながら出発します。進路を東向き変え右にニュータウン、左側に里山や田園地帯をみながらすすむと、しだいに山間に入っていきます。

小さなトンネルを抜けると終点妙見口に到着です。駅前には小さなお店が数店あるだけです。妙見の森ケーブルに乗るには徒歩で20分ほど歩かなければなりません。

 日生線は、山下を出発すると里山、住宅地、ゴルフ場の中を高架線で進んでいきます。

途中に駅はなく、ほどなくして終点日生中央に到着します。駅周辺には商業施設が複数あるほか、里山がすぐ近くにある緑が点在する住宅街の駅になります。

歴史

能勢電鉄は、妙見山に鎮座する「能勢のみょうけんさん」で知られる日蓮宗の能勢妙見堂への参詣客アクセス路線として建設されました。

ですがそれだけを目的に開設されたわけではありません。古くから能勢には三黒三白と称される特産品がありました。大阪府の北端で、標高が高く、冬は冷え込むため、寒暖差を利用した寒天や高野豆腐の製造に最適だったそうです。

余談ですが、能勢は「大阪の寒極」、「大阪の北海道」と呼ばれていたとの逸話も。さて、三黒とは炭、栗、黒牛、三白は米、高野豆腐、寒天のことです。

「高野豆腐ではなくお酒」と解説されることもありますが、とにかく三黒三白という特産物がありました。その特産物を輸送することがもうひとつ目的として1908年能勢電気軌道株式会社を設立しました。

 設立後、様々なトラブルがあり、開通はずれこみ1913年、能勢口・一の鳥居間が開通しました。三黒三白の輸送を目的としていましたが、開通当時の貨物の大半は、多田にあった三ツ矢サイダーの工場からの出荷品でした。

ちなみに三ツ矢サイダーの発祥の地でもあります。

 1917年、貨物の連絡輸送のため現在のJR線川西池田駅と能勢口の間を結ぶ路線が開通、1923年に一の鳥居・妙見口間が開通、現在の川西能勢口から妙見口の路線が完成します。

その後、線形を改良や近代化工事、川西能勢口駅周辺の高架化や再開発により現在に至っています。

川西能勢口から川西池田(能勢電鉄の駅名は川西国鉄前)の路線は、1981年12月に廃止されました。

川西国鉄前と川西能勢口の間の路線は、廃止直前には朝7時台3本と夕方17時台と18時台に各一本しか走らない、走っているところ見ることがレアな路線でした。昼間は川西能勢口のホームの先で、区間を往復していた50形電車がずっと停まっていました。

 山下で分岐する日生線は、1978年12月に開通しました。山下と日生中央の間2.6㎞の路線ですが、途中駅はありません。日生線は妙見線とは異なり、日本生命が中心になり開発された日生ニュータウンの居住者のアクセス路線として建設されました。

ニュータウンの中を計画的に開発されたので、全線高架で踏切はない都市型の路線です。平日朝と平日夕方には阪急宝塚線へ直通乗り入れする特急「日生エクスプレス」が大阪梅田まで運転されています。

 日生線には面白い列車が存在します。山下と日生中央のみ日生線内で折り返し運転する普通電車です。

山下駅の配線の都合上、「山下駅発山下駅経由日生中央行」という、なかなかユニークな運行形態になっています。ホームの列車案内には、「1号線経由の日生中央行きです」と表示されています。機会があれば是非体験してみて下さい。

車両

能勢電鉄の車両といえば阪急電鉄からの譲渡車両のイメージが強いのではないでしょうか。実際、先に触れた50形車両とその後に造られた60形車両を最後に自社車両で作っていません。

60形がつくられたのが1955年ですから70年近く自社オリジナルの車両がなかったのです。もっとも50形、60形にしても阪急の車両を更新したものだったので、完全オリジナルの車両は31形車両まで遡らなければなりません。

31形の製造は1926年といいますから、完全オリジナルの車両は100年近く製造されてなかったことになります。

 ほぼ70年、阪急からの譲渡車両だけで運行されている能勢電鉄のですが、阪急時代のまま使用しているわけではありせん。

保安機器などは当然に能勢電仕様に変更されているだけではなく、車内設備や制御機器も必要に応じてリニューアルされています。また近年は、ワンマン化対応改造も行われています。

川西能勢口駅がまだ地上駅だったころは、急カーブが存在したため、連結器間の改造が必要だったのですが、高架化とともに急カーブが緩和されたので連結器の改造は行われなくなりました。

 現在の能勢電鉄の車両ラインナップはすべて阪急からの譲渡車両になっています。一時期、さまざまな車体色が混在していましたが、今では阪急マルーンの塗装に統一されています。これは車両の全般検査を阪急電鉄正雀工場で行っているためとされています。

 現行の車両は1700系、5100系、6000系、7200系の4系列です。1700系はもと阪急2000系で、オートカーと呼ばれた車両です。1990年から92年にかけて導入されました。4両編成で運行されています。

5100系は2014年から2016年にかけて阪急電鉄より譲渡された車両で、もと阪急5100系です。4両編成と2両編成で運行されています。

一部の車両は方向幕に代えてLED式が採用されています。5100系の改造は尼崎の阪神電鉄車庫で行われたため、阪急電車が阪神電車の線路を走ったと話題になりました。

6000系も、元阪急6000系です。8両1編成が2014年に譲渡されました。この車両は、能勢電内では日生エクスプレスのみの運用で、普段は能勢電鉄線内にいることはありません。

阪急宝塚線内を、他の阪急の車両と同様に運用されています。外観や塗装は阪急時代と変わりませんので一見すると見分けがつきません。梅田方6002、宝塚方6102の6002Fが能勢電鉄への譲渡車両の能勢電鉄6000系になります。

最後に7200系ですが、元阪急7000系と6000系の改造車で、こちらも尼崎の阪神電車尼崎車庫で改造されました。4両編成3本が入線しています。

行先表示器はフルカラーLEDを採用、能勢電初のVVVFインバータ制御車両となりました。外観上、上部のアイボリーの部分とマルーンの部分の間に金色のラインがあしらわれています。

街中を颯爽と走るマルーンの電車の阪急電車ですが、能勢電鉄ではマルーンはそのまま、田園地帯を抜け自然豊かな里山の麓を走ります。

新緑の季節、山とマルーンのコントラストもまた見栄えのする光景です。機会があれば一度、乗っていただけたら思います。

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