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上信電鉄

日本の私鉄で3番目に開業・120年以上の歴史を持つ上信電鉄

歴史

上信電鉄(じょうしんでんてつ)は、群馬県高崎市に本社を置く鉄道会社です。鉄道路線として上信線を有するほか、路線バス事業も行っています。

1895年(明治28年)。上野鉄道(こうずけてつどう)として設立されたのが上信電鉄の始まりで、日本の私鉄では、南海電気鉄道・伊予鉄道続く3番目の開業でした。

実質的な運行を開始したのは1897年(明治30年)。高崎(高崎市) ~ 下仁田(下仁田町)間33.7km、駅数21の路線が開通します。

上野鉄道は、妙義(みょうぎ)・荒船山系周辺の交通の便をよくするため、また坂鉄山・青倉石灰山の産出物を運搬する軽便鉄道として、客貨混合列車が2時間半かけて走りました。

当時の軌間(左右のレールの間隔)は、762mmでした。

その後、長野県の中込まで延伸する計画が浮上。上州と信州を結ぶという案に基づき、1921年(大正10年)8月25日に上信電気鉄道へ社名を変更します。

対象路線の工事と営業のために免許を取得しますが、この時期に起こった戦後恐慌により計画は中止。

同じ時期に、順調に運行を続けてはいたものの時代に対応できなくなりつつあった軽便鉄道規格を、軌間を762mmから1067mmへ、直流1500Vの電化に変更する工事を計画。

1924年(大正13年)に、全線の電化、軌間拡張工事が完了します。

軌間拡張工事により、上信電鉄と高崎線のレールをつなげることが可能になり貨物列車の相互乗り入れを開始。

上信電鉄の停車場が高崎線駅構内に設置され利便性が一気に高まります。

1964年(昭和39年)5月11日には、上信電気鉄道から現在の上信電鉄に商号を変更します。

車両

1921年(大正10年)の電化当時、ドイツ製の電気部品を輸入して電装品として多用していたほか、その頃の日本では希少なドイツ製の電気機関車を保有していました。

戦後は、東日本国有鉄道(国鉄)東武鉄道から譲り受けた木造車を鋼体化改造した車両を運行。

1964年(昭和39年)には、日本を代表する鉄道車両用電機品メーカー東洋電機製造の電装品を使用したカルダン方式の駆動車である200形を導入します。

このとき以来、新造する車両には東洋電機製造の電装品を継続して使用しています。

電化後は、蒸気機関車が客貨混合列車を引くスタイルから、電車が旅客列車を電気機関車が貨物列車を牽引する仕様となり、旅客列車の所要時間が大幅に短縮。利便性が高まりました。

現在は、電気機関車を始めとした250形、500形、700形、1000形、6000形、7000形の多彩な車両を保有。戦後の茶系の単色塗りの車体をはじめとして、ストライプ塗装やコーラルレッドを用いた単色塗りなど、時代に合わせた変化をとげています。

2000年代後半からは、全面広告の車体が急増。銀河鉄道999のラッピング列車「銀河鉄道999号」のほかに、「鉄道むすめ」のキャラクター富岡しるくや群馬のゆるキャラぐんまちゃんのラッピング列車、お菓子メーカーロッテとのコラボ「雪見だいふくラッピング電車」なども登場。

クリスマスやお花見など、車内に季節ごとの装飾を施した電車やイベント列車などもお目見えします。

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